「トマト缶」と呼ばれる少年たちは、ブルキナ全土にいる。
小学生から高校生くらいまで。
名前の由来は、紐をつけたトマトの空き缶詰やマーガリンの空きケースを
肩からぶら下げているから。
彼らは、「イスラム学校」の生徒たちで、未だ女子は見たことがない。
毎朝村から町なかに歩いてやってくる。
簡易レストランで、お客が食べ残したご飯を、そのトマト缶に入れ、
お皿代わりの缶の中身を食べるのが日課。
それはとても素早い作業で、
お皿を片づける役割も果たすからか、お店の人は何も言わない。
たまに大人のイスラム教徒が「喜捨」としてお金をあげることもある様子。
大きな町や、バスターミナルには、こんな風にたむろしている。
シンナーを吸いながら歩く少年に会ったこともある。
都会の彼らは、時にしたたかであったりもする。
イスラム学校では、フランス語は勿論、
コーランやそれを読むためのアラビア語も勉強する、と聞いた。
昼間は「トマト缶少年」をしているから、一体いつ勉強しているのだろう。
もらったお金は、その大人たちが吸い上げていく、とも聞いた。
きれいな服を着ているトマト缶少年は、ほとんどいない。
その背景は、推して知るべし。
でも、彼らは本当に純粋。
ある日、職場の裏でバキバキ音がするので覗いてみると、
10歳くらいの少年4人が、薪を集めていた。
細い細い腕で、枝を折って。
一緒に折っていると、私が折れない枝を代わりに折ってくれる。
軽いであろう、その全体重をかけて。
あまりにけな気で、私は切なくなった。
そして、その日以来、毎日挨拶しに来てくれる。
はにかみながら、キラキラの瞳で「ボンジュー」って。
トマト缶をぶら下げて。
宗教が絡むと、問題は単純にはいかない。
でも、神がついているのならば、彼らを守り、正しい道へと導いてほしい。
彼らにだって、等しく未来はある。