「隣の晩ごはん」だって、もう少し節度あるだろう姉夫婦の電撃訪問。
空港で見送った4日後。
また同じ空港の、到着口にて待つ。
今度は、元同僚の美術教諭が来ブルキナ。
今度は、1ヶ月前からちゃんと知っていた。
って、それが普通か。
日本とブルキナって、そんなに近いのか・・・?
それとも、私の周辺が好奇心旺盛なのか・・・?
大きな荷物を抱えたオレンジ色の服を見つけた時は思わず感動した。
「本当に来たんだ!」と。
メールやブログでブルキナやこの生活にたくさんの疑問を投げかけてくる彼女は、
実際に自分で見たくなったらしい。
首都を早々に出発し、長距離バスに揺られてウンデへ。
バスが走り出した瞬間に眠り始める私を横目に、一睡もせず。
途中の休憩所では、かなり強烈なトイレも体験した。
(半畳のスペース。ドアはない。床ではなく壁に穴。
紙ではなくヤカンに入った水を渡される。有料トイレ。
しかも、女性用からなぜか男性がでてきた。)
順調なはずの旅も、ウンデ到着翌日から、早速アフリカの洗礼を受ける。
いわゆる、「アフリカンダイエット」。
食べた覚えのないものまで体から放出される。
例えば大豆状のもの、とか。
まずい、どんどん衰弱していく・・・。
バカンス中、約10日間小学校の先生がボランティアで美術のコースを持っている。
そのうちの2日、彼女は授業をする予定になっていた。
荷物の大半は、そのための紙や、筆記具、カッターやはさみだ。
仕方ない、ここは私が一肌脱ぐか!!!
「やるよ。」
意外な一言だった。
12年の教員生活で培われた、「生徒を前にした時のアドレナリン」はすごい。
30分置きにトイレに行っていた彼女が、一度も教室を出ることなく3時間授業続行。
1日目は「塗り絵」。
はみ出さない、均一に塗る、色を考えるなどのポイントを与え、開始。
小学生から高校生まで約30人が、一心不乱に塗る。
ほかの人の作品のいい所を指摘し合い、それを元に2枚目。
はまった。
何時間でも、何枚でも、生徒達は塗り続けた。
2日目はかざり。
切り抜き、輪飾り、網飾りが一体となったものを作る。
カラフルな折り紙や、これまでやったことのない切り抜きに興奮。
途中は、ただの「のりを塗るための新聞紙」を取り合う騒ぎに。
「あんたたち、もうやめたいの、まだ続けたいの、どっちよ。
やりたいなら、まず話を聞きなさい!」
稲相手では絶対に出ない、懐かしいセリフが思わず口から出た。
紙の裏表が違う、
糊付けの場所が違う、
切りすぎて失敗・・・
初めの作業を行う40人を
同時に教えるのは、本当に大変。
でも、
年上の子が年下の子に教えたり、
折り紙がなく新聞で作り始めたり・・・
画一的なものから、独創性のあるものへと広がっていく。
美術って、すごい。
「愛」のカブトを被った日本の先生が突然やってきて、一緒に作ったデコレーション。
きっと家に帰って、家族に見せるんだろうな。
夏休みの思い出に残るんだろうな。
彼女にとっても、この2日間や、ウンデの時間や、その病の辛ささえもが思い出になることを願います。