ブルキナファソ、電気も水道もないKofilaの町に、Mikaが出会った。
ブルキナに来て約3週間。
意外に何でもある。お湯シャワー、水洗のトイレ、アイスクリーム。
でもそれはあくまでも一部の都市。
「本当の村の生活」を知るため、3泊4日、コフィラという村にホームステイ。
この村には、「ガイジン」がいない。そして、英語を話す人もいない。
<家族について>
家は、真ん中に井戸を囲み、4つの建物から成る。
一つは、キッチン。
コンクリートの家は、お父さん。
土壁の家は、2人の息子。
残る長屋みたいな所に、お母さん達と子供達。
イスラムのこの家に、お父さんは3人の奥さんとその子供達と住む。
お父さんの話では、家族は12人。
息子(24歳)に聞いたところ、14人。
どちらが正しいのか、よく分からなかった・・・
常に近所の人や子供達が入り浸り、誰が家族かも不明・・・
とにかく、大きな、でも村では普通サイズなMillogoさん家。
不思議なことに、3人のお母さん達は友達同士みたいに仲良し。
息子は奥さんが1人と息子が1人。(写真の子)
「奥さん何人欲しい?」(MAXで4人まで可能)と聞いたら、まだ分からないそう。
奥さんに、「旦那が別の奥さん欲しいって言ったらどうする?」と聞くと、「イヤー」と顔を隠して、走って行った・・・
その女心、分かります。
<村の一日>
電気のないこの村では、日暮れと共に一日が終わる。
ミロゴ家では、太陽光のバッテリーで外灯が1つと、お父さんの部屋に電気がつく。
それ以外は懐中電灯。
そして太陽と共に一日が始まる。
ただし、牧場のイチローさんもびっくりの家畜達のあらゆる鳴き声で目が覚める。
牛、ヤギ、羊、鶏、ロバ、七面鳥。
壁を乗り越え、羊たちはやってくるし、鳥類に至っては、誰の家の者かも不明。
とにかく、目が覚める。
ご飯を食べて、仕事は農業。みんなで畑へ行く。
「遠くないよ」と言われた畑は、約2キロ。もちろん歩く。
落花生、綿花、トウモロコシを植えているが、土が硬い!
1時間ほど鍬で草を抜いただけで、手にはマメが2つ。
「赤ちゃんの手」だと笑われ、あとは木の下に座っていただけ・・・
一方、一家は黙々と働く。女性はおしゃべりしながら種をまく。
子供達は、牛を引っ張り畝を作る。
日が暮れる頃、家に帰ってご飯。ふーむ、農業はかくも辛いものか。
<村の特徴>
人口は、1761人。お父さんはこの村のご意見番的存在。
村のみんなを知っていて、村のみんなが知っている。
東京で住んだアパートに、何人住んでいるかも、隣人の顔さえも私は知らなかった。
会う人会う人、握手をしながら5個くらいの決まり挨拶をする。
1日の会話の半分はこの挨拶っていうくらい、とにかく挨拶。
村には4つのモスク(イスラム寺院)があり、これは土のもの。
時間になると放送が流れ、お祈りに行く。
その他、診療所が1つと、小学校が2つある。
ポンプ式井戸が4つあり、みんな汲みに行く。
10kgを超すたらいを女性は頭に載せて運んで行く。
私は持ち上げることさえできなかった。
3日目に、村の集会があった。
フランス人が村を回って、今後植える野菜を検討。大豆を植えることに決定。
みんなが話す言葉は「ジュラ語」。フランス語も通じる。
大人は、男性はほぼ大体、女性は半々でフランス語を話す。
子供は、やっぱり男子の方が理解度が高い。
そして、兄弟の中でも上の子の方が理解する。
これは、学校に行ける優先順位が「男子」であり、「長男」である結果だろう。
<子供たち>
とにかく、子供がたくさん。そしてみんな働く。
小学生にもなれば、男子は畑で働き、女子は家事や粉挽きをする。
3歳位の子は、その下の子を世話する。
物心つかない1歳児は、肌の白いこの「ガイジン」を見て泣きわめく。
(途中から、あえて泣かせて、みんなで笑っていた)
みんな興味津津で、よく尾行し、挨拶し、写真を撮ってとせがむ。
娯楽や情報のないこの村で、カメラの映像は本当に楽しいらしい。
折り鶴をプレゼントした。
<村の生活>
トイレ。
壁で囲んだ屋外オープンスペースに一つの穴あり。
地中深いらしく、そんなに匂わないし、意外と清潔です。
が、日本では1日8回トイレに行っていた私の膀胱は便秘ならぬ尿秘。
3泊4日で合計5回しか行かず。
水道はないので、井戸の水を汲んだバケツで水浴び。
汚れていない服とか、いい香りの石鹸とか、遠いことのように思えた。
だから、滞在中、顔を洗った回数2回。水浴び1回。
そういえば、髪を洗ったのは8日前だったかも・・・
<ごはんとお父さん>
家の主食は、トウモロコシのトー&バオバブの葉のソース。
これをたいてい昼と夜食べる。(1回だけ魚のソースだった)
朝はまた別の、ゆるいお粥みたいなものを食べる。
正直に言うと、トーだけの生活は苦しい・・・
そんな私には、毎食特別メニューがあった。(食事はお父さんと2人)
ご飯を炊いたものであったり、十分に茹でたパスタをコンソメと油で和えたものであったり、オムレツであったり。
放し飼いの鶏しかいないこの村で、卵は本当に高級品に違いない。
なのに、お父さんは卵の料理を作らせた。
帰る時は、3つもゆで卵をくれた。
塩もマヨネーズもないそのゆで卵を、私は一生懸命食べた。
涙が出た。
お父さんは、食事の時、いつもお湯を沸かして「リプトン」を入れてくれた。
「リプトン製」ではない「リプトン」紅茶。
私が生水を飲まないで済むように。
滞在中、一度も空腹にならなかったし、お腹も壊すこともなかった。
「ガイジン」の私を、こんなにももてなしてくれたお父さん。
Kofilaの村には、ないものがたくさんあった。
「ものがある」ことを知っている私には、不便だと思うことがいっぱいあった。
4日間だから、私はそれでも不自由なく生活できた。
この村で一生の生活を送ることは、私にはできないだろう。
でも、ここで生まれた人にはこの生活が当たり前。
4日間、本当に色々なことを考えた。感じた。
「牛5頭で嫁に来ないか?」と言ってくれた男性。
夜採った羽虫。退治だと思ったら翌日のおやつだった。
コーヒーを奢ってくれたお店のお兄さん。
バオバブの木に沈んでいく雄大な夕日。
果てしなく続く畑。
見たこともない数の星と、くっきり浮かぶ天の川。
笑顔で手を振り、挨拶をしてくれる村の人達。
そして、「結婚したら旦那を連れて挨拶に来てくれ」と、「来てくれて本当にありがとう」と言ってくれたお父さん。
そして自分の無力さ。
私はこの村で見たもの全て、出会った一人一人をずっとずっと忘れることはない。
長くなっちゃいました。