「明日、隣町で『マスクの祭り』がある」、と聞いた。
「マスクの祭り」は、ブルキナ各地で行われるもの。
死者を弔うことが起源。
各部族がそれぞれのマスク(仮面)を持っている。
マスクを被ったり、葉っぱで全身を覆ったり。
イメージとしては、「なまはげ」または「ムック」。
今では、豊作祈願や雨乞いのために行うこともあるらしい。
「8時からセレモニーがあって、お昼ぐらいにマスクが村を歩くんだって。」
その情報を元に、15km先の村へgo。
朝7時のこと。
村へ着いたら、情報を集めなきゃ。
観光案内的な人、村長さん、祭りの責任者。
「あの家だ」と言われるがまま、訪ねる。
知りたいことはたった一つ。
「何時からセレモニー&マスクは始まるのか」。
以上。
そんな簡単なことを上記の3人に聞くのに要した時間、3時間。
なぜなら、①家に居ない → 探してもらう → 待つ
②彼も知らない → 伝令を出す → 待つ
③答えを聞く → 庭先でドロを飲まされる
から。
そして、そんな簡単な質問の答えは。
「今日はないよ。」
大きなお祭りらしい。
外国人の観光客も来るらしい。(実際、5人の外国人を見た)
テレビの取材も来るらしい。(実際、7台のカメラを見た)
でも、「プログラム」というものは、存在しないらしい。
そして、今日ではないらしい。
なんて気まぐれ。
なんてカプリチョーザ。
無いものは仕方が無い。
せっかくだから、
「マスクの教会」を見て帰る。
教会の入り口がマスクで出来ている。
この口に人々は吸い込まれ、吐き出される。
中はカトリックの祈りの場。
昔の円形劇場のような作り。
教会は、いつも神聖な気持ちになる。
帰り道、会ってしまった。
事故に遭った母子のロバ。
誰かが道端まで運んだらしい。
きっと、子ロバを守ろうとして、母親まで犠牲になったのだろうと思われる。
そして舞い降りた3羽のハゲワシ。
弱肉強食。
『ハゲワシと少女』
ケビン・カーターがスーダンで撮影したあの写真を思い出した。
当時のアフリカを象徴し、世界の目をスーダンへ向けさせた鮮烈な1枚。
たった一枚の写真が、人々を変える。
一時期憧れたこともあったフォトジャーナリスト。
ロバート・キャパ。一之瀬泰造。沢田教一。
シャッターを切る。
・・・私の写真、ピュ-リッツァ-賞は程遠い。
マスクは見れなかったけれど、いろんな意味でブルキナを体感した1日。
結論。
歩いて、酔って、待って、尋ねて、撮って、焼けた。