研修の合間、休みにかつて奴隷貿易で栄えたウィダという町へ行った。
大航海時代を終え、アフリカから沢山の奴隷が労働力として「輸出」された。
多くは、アメリカへ、そして中南米へ。
それは、のちに人種差別や隔離へ繋がり、アパルトヘイトやキング牧師に繋がる。
英語の授業でも、大きなテーマになる。
どうしてもその歴史が知りたくて、奴隷博物館を訪れた。
独立の翌年、1961年までポルトガルが統治していた建物が博物館。
実際に、船に乗せられる前の奴隷達も留め置かれたそうだ。
現地のガイドさんが説明してくれた。
アメリカは、そして同じポルトガル領ブラジルへ。
長い長い船旅を終え、健康な者はプランテーション農園へ。
体調に不備があれば、メイドや売り子として。
意外だったのは、無事に帰還した奴隷がいて、現地の文化を持ち帰ったいたこと。
そして、ウィダの当主は積極的に貿易を行い、
戦いに勝った隣国やあるいはブルキナなどからも奴隷を輸出していたこと。
手枷足枷や奴隷船を描いた絵などが展示されていた。
でも、「アフリカの博物館ってこんなもん」くらいにしか展示がなく、
想像していたような悲壮感や壮絶感はあまりなかった。
博物館から4キロ。
灼熱の、蒸し暑い道のりを、
何十人も繋がれた奴隷達は
ギニア湾へと歩いた。
今でこそ、砂浜には
奴隷門が建っているが、
かつては何もなかったはずだ。
帰れるかも分からない祖国。
どんな思いでこの海に向かったのだろう。
奴隷達が最後に見た「忘却の木」は、
今もその姿を残す。
この町も今では観光地。
お土産のマスク。
南国の象徴、椰子の実。
地元の人たちは、地引網。
遊泳禁止のギニア湾。
波が高く、荒い。
でも、どこまでも続く水平線と青い空。
時代は変わり、歴史は作られていく。
この海は、私には少し希望を与えてくれた。
ところで。
25日、クリスマスの飛行機は、乗客が少なくキャンセルに・・・
This is Africa!
26日夜にブルキナに帰ります。